お薦めの一冊

お薦めの一冊
2009年8月21日金曜日
久しぶりに内田樹先生の著書を紹介させていただきます.内田先生の著作は,このサイトでも何度も取り上げさせていただきました.今回は,新刊ではなく,以前に書かれたものを紹介させていただきます.
この本で紹介されている現代思想は「構造主義」です.何やら小難しい話題だなぁと感じる方も少なくないでしょう.そう決して簡単な概念ではありません.どちらかというと,やっかいで難解な議論が展開されている分野です.それを
いつもの内田節でわかりやすく説明したのが本書です.
構造主義の主な論者として,本書では,ミシェル・フーコー,ロラン・バルト,レヴィ=ストロース,ジャック・ラカンの4人の学者が取り上げられています.この4人が活躍する素地をつくった構造主義前史としてマルクス,フロイト,
ニーチェが取り上げられ,構造主義の始祖としてソシュールが取り上げられています.
構造主義とは,簡単にいうと,「私たちは自分では判断や行動の『自律的な主体』であると信じているけれども,実は,その自由や自律性はかなり限定的なものである,という事実を徹底的に掘り下げた」(p.25)ものなのです.前回取り上げた稲葉先生が「形式」といっていたものに相当するのが「構造」だといってよいでしょう.
では,実際にはどのような議論なのでしょうか.私の読書メモから,いくつか拾ってみましょう.
ミシェル・フーコーは制度や意味が「生成した」現場まで遡って見ることの必要性を説きました.
ロラン・バルトはひとたびある語法(エクリチュール)を選んだとたん,自分が選んだ語法が強いる「型」にはめられてしまうことを指摘し,さらにテクストと読者の双方向的なダイナミズムについて言及しています.
レヴィ=ストロースは「絶えず新しい状態になる」という歴史的な相のもとに構想する社会を「熱い社会」,野生の思考が領する社会を「冷たい社会」と名付けました.
ジャック・ラカンは「自我」と「私」は主体の二つの「極」をなしていることを指摘しました.ここでいう「自我」とは「言葉にならないけど,それが言葉を呼び寄せる」ある種の地場のようなものであり,「私」とは主体が「前未来形」で語っているお話の「主人公」です.
構造主義などと聞くと尻込みしたくなりますが,この本なら最後まで読めると思います.社会学を学ぶ方にもお薦めの一冊です.
内田樹,文藝春秋,2002年
寝ながら学べる構造主義