やねだんに学べ
やねだんに学べ
〜地域再生のヒントをもとめて〜
行政に頼らないむらづくり.その成功例である,鹿児島県鹿屋(かのや)市串良(くしら)町上小原(かみおばる)にある「柳谷(やねだん)」を訪問しました.
やねだんも,1995年までは,地方都市のどこにでもある過疎化が深刻な村のひとつでした.村の人口は約300人.高齢化率は30%を超えていました.そんなやねだんは,1996年,豊重哲郎さんが柳谷自治公民館長に就任して以来,大きく変化しました.
館長就任10年目の2005年には,住民の自主財源が約500万円となり,122世帯の全世帯に対して,1世帯1万円のボーナスを配布することになりました.さらには,減り続けていた人口が2007年には増加に転じたのです.
この約10年間に「やねだん」で,一体何が起きていたのか.地域再生のヒントを学ばせていただくために,実際にやねだんを訪問させていただきました.
●やねだん 入口
鹿屋市の市街地から2~3km離れると,あたり一面,田畑が広がる風景に変わります.しばらくすると,やねだんの方向を示す看板が出てきます.
●ギャラリーやねだん の案内版
やねだんで暮らすアーティストさんたちのギャラリーを案内する看板が見えてきます.
●ギャラリーやねだん
坂を下るとギャラリーやねだんが見えてきます.
空き店舗を改造したギャリー.画家の大窪さんが描いた笑顔の太陽が出迎えてくれます.
●わくわく運動遊園
やねだんの中央に位置する「わくわく運動遊園」.その入口にはPrivate Brandである焼酎「やねだん」の巨大なモニュメントが建っています.
●柳谷自治公民館
村の活動の拠点となる,柳谷自治公民館.中に入ると,やねだん在住の写真家さんが撮りためた村の方々の笑顔の写真が飾られています.また,公民館の広間には画家の石原さんが描いた大きな絵が飾られています.絵の前に置かれているベンチ
は,もちろん手作り.畳に座ったり立ったりするのがつらくなってきた方々に腰掛けてもらうベンチであり,畳に座れば文机になり,一ヵ所に集めればステージになるという
すぐれものです.
●迎賓館
高齢者が多いこの村では,空き家ができてしまいます.そのままにしておいては
もったいないので,村の方々が総出で掃除し,きれいにして,迎賓館に仕立て直し.
迎賓館1号館は画家の石原さん,大窪さんが借りて住んでいます.
私たちも迎賓館4号館に泊めていただくことになりました.
「やねだん」では何が起こっていたのか
(1)自主財源の確保
行政に頼らない地域再生をめざした豊重館長は,まず,地域住民から無償提供いただいた30アールの畑でサツマイモの栽培を始めました.農作業の担い手は高校生.初年度に
35万円の収益金をあげました.この高校生からスタートした「からいも生産活動」は年々
拡大し,2002年度は1ヘクタールの栽培に到達し,約80万円の収益金をあげました.
その後も,豊重館長はたたみかけるように,さまざまなアイディアを出し,地域再生に
向けての活動を推し進めていきました.学校での勉強についていけない子どもたちのために,退職された教員を招いて「寺子屋」を開く.一人暮らしの高齢者の孤独な夜の不安を解消するために,緊急警報装置を設置し,希望する独居高齢者にそのスイッチを配布する,など.これらの費用は,すべてさつまいも栽培による収益金より賄われました.
むらづくりに必要な活動を行おうとすると,どうしても資金が必要となります.これを
行政に頼るのではなく,自分たちで生み出した.やねだん成功のヒントのひとつは,ここにあるのだと思います.やねだんではさらに,土着菌の製造販売,Private Brand焼酎「やねだん」の製造販売,手打ちそばを提供する食堂の開業,と実績を残していきました.こうして自主財源は揺るぎないものとなり,その財源によって運営される「むらづくり」はますます盛んになっていきました.
(2)住民総出
やねだん成功のヒントのふたつ目は,「住民総出」という点にありそうです.豊重さんが公民館長に就任した当初,民間でんぷん工場の跡地であった町有地は,雑草が生い茂る荒れ地に過ぎませんでした.ここを活用して,「むらづくり」活動の拠点にしたい.そう考えた豊重さんは,自治公民館組織を再編し,既存の高齢者部,青少年部,畜産部,婦人部に加えて,新たに文化部を設置し,その中に高校生クラブとイベント部を置きました.さらに「柳谷集落民会議」という自治公民館役員全員,児童民生委員,小中PTA代表,幼児の父母代表,PTAのOBによって構成される組織を作り,これらの組織を通して「むらづくり」活動の拠点づくりを目指しました.
技術,体力を備えた住民は労力を提供し,豊かな知識と経験を備えた高齢者は,惜しげもなくそれを提供し,体の弱い住民は寄付を行う.このような住民総出の作業によって,1998年,「わくわく運動遊園」と命名された手作りの公園が,補助金にまったく頼らず,約300人の全住民の汗の結晶として完成しました.
自分たちの手で作り上げたという充実感,達成感,そして自分たちでできるという自信.住民総出の活動は,すべての住民にこれらの,行政主導では得られ難い力を与える
ことになりました.
(3)関心を惹きつける
豊重館長とお話しするなかで,「関心のない住民を振り向かせるのは至難の業ではないですか」と質問してみました.館長は笑いながら答えました.「それは最も簡単だよ」と.
やねだんでは,昭和60年に設置された有線放送を用いて(現在は無線だが),父の日,母の日にやねだんで生まれ育ち現在は異郷で暮らしている方々から,両親にあてたメッセージを高校生が代読するというイベントを行っている.「お母ちゃん,産んでくれてありがとう.お母ちゃん,育ててくれてありがとう.お母ちゃん,見守ってくれてありがとう.地域の皆さん,一人ぼっちの母をよろしくお願いします.」このようなメッセージが,地域全体に流れるのである.これを聞いて感動しない人がいようか.地域社会に関心をもたない人がいようか.
館長のおっしゃるとおりである.私たちは,「関心のない住民が多い」と嘆くだけで,
関心を惹きつける試みをさぼっていただけではないか.「関心を惹きつける」という試みがやねだん成功の3つ目のヒントだと思いました.
(4)笑顔を生み出す
芸術が文化と笑顔を生み出す.これが4つ目のヒントです.
新たに人が流入してこない限り,すべての地域社会は高齢化と人口減少を経験することになります.80歳の方は10年後には,誰であろうと,90歳になる.そして何びとも死から免れることはできない.となると,空き家が増える.増えた空き家をきれいに修繕して,迎賓館とよび,むらに活気を与えてくれる「新たな」人びとを招きいれよう.豊重館長が2007年に開始した活動はアーティストを迎い入れるというものでした.
アーティストたちは「迎賓館」を賃貸して暮らしています.アーティストたちの作品は,自治公民館脇の廃業したスーパーを改修して作ったギャラリーに展示され,住民の目を楽しませてくれ,またやねだんを訪問した人びとからも芸術作品として購入されていきます.本物の芸術作品に日常的に接するむらのひとたちは,老いも若きもアーティストたちから直接,芸術を学んでいきます.
アーティストたちが生み出すアートは,むらを明るくするだけではく,人びとにとびきりの笑顔を生み出しています.やねだんはもはや,過疎に苦しむむらではなく,おしゃれで笑顔に溢れるむらであり,独自の文化をもつむらになった.私にはそう思えました.
(5)やねだんに学べ
現在,豊重館長は全国各地から講演に呼ばれ,忙しい毎日を送っていらっしゃいます.
講演のたびに,2つの質問・感想を聞くと館長はおっしゃっていました.「館長みたいな
人がおったらなぁ」「どうしてそんなにアイディアが生まれるのか?」これが代表的なものなのだそうです.
「館長みたいな人がいたらなぁ」という感想には,二つの意味が込められているようです.「館長は,アイディアに溢れる人だ」という感心と,「そういう人が自分の地域にはいないから自分の地域で地域再生は難しい」という諦観.前者には私もおおいに同意します.しかしながら後者の立場を私はとりません.
創意工夫が得意な人は,地域社会には必ず存在します.その人の存在に私たちは気づいていないだけだと思うからです.それにもし,そのような人がどうしても見つからないのであれば,自分が「創意工夫が得意な人」になればよいのです.
いったいどうやって創意工夫をするのか.それは豊重館長のように創意工夫が得意な人から,学べばよい.なにを,どうやって学ぶのか. 豊重館長は,さまざまな現実に直面して,さまざまな選択肢を選んできました.「選んできた」という点がポイントです.つまり,選ばなかった選択肢もまた存在するということなのです.豊重館長が,その選択肢をなぜ選び,その時選び得た別の選択肢をなぜ選ばなかったのか.そのことを丁寧に,そして慎重に考え抜けば,「創意工夫」なるものがどのようになされたのか
理解することができるはずです.
豊重館長,そしてやねだんに暮らすすべての方から,学ぶべきことはたくさんあります.そしてすばらしいことに,豊重館長もやねだんに暮らす方々も,学ぼうとする我々よそ者を満面の笑みで迎え入れてくれるのです.やねだんに学べ.そして自らの故郷で,それを実行せよ.やねだんはそう語りかけているように,私には感じられました.
(上の写真は,2011年9月11-13日に訪問した時のものです)